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2010.05/14 (Fri)19:11
1カ月ほど前、大手出版社の副編集長(44歳)と酒を飲んだ。
そのとき副編集長はハッキリとこう言った。
「彼は、日大しか出ていないのに…(苦笑)」
“彼”は、2歳年下の後輩を意味するらしいが、
その彼が人事異動で編集長に抜てきされたようだ。
一方で、早稲田大学出身のこの副編集長は、昇進できなかった。
後輩に負けたのである。
だから、酔った勢いでつい「日大しか」とバカにしたのだろう。
会社員として30代後半~40代後半までの約10年間は大きな分岐点だ。
その後、役員などになるか、それとも管理職で終わっていくか、
2つの道が待ち構えている。
最近は、管理職にもなれない3つ目の道が作られている。
この時点で競争に負ける人は、人事について不満が多くなる。
そんなときに、彼らがよく口にするのが
「〇〇大学しか出ていないのに…」といった言葉である。
さすがにしらふのときは口にはしない。
酔ったりすると、ハッキリと言う人がいる。
「あいつは立教なのに…」
「まあ、中央しか出ていないから、彼は必死にがんばったんだろうね」など。
いずれも早稲田や慶應義塾、東大出身の編集者たちである。
この人たちは現在、副編集長(課長級もしくは課長補佐)などだが、
その上の編集長(課長級もしくは部長級)になるのが遅れている。
会社から十分には認められていないのだ。
彼らはそのことを察知しているからこそ、
自分を追い抜かす人を冒頭で紹介したように「日大しか……」とバカにするのだろう。
つまりは、嫉妬である。
私がこの20年ほどの間に学歴について書かれた本を読んできた中で、
もっとも説得力があると思ったものをベースに論を進めたい。
『日本的経営の編成原理』という学術書であり、
もう30年以上前に書かれたものだ。
著者の岩田氏は、学歴うんぬんを論じる前に、
日本の社会の能力観には2つのニュアンスが含まれていると言及する。
(1)能力は、ある漠然とした一般的な性格のものとして
受けとめられることが多いこと
(2)能力は訓練や経験によって開発されるべき潜在的な力であり、
“実力”とは考えられてないこと
日本の能力観に基づくと、
次のような意識を人々が持つことになりがちと説く。
「“できる人”は潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されており、
彼がその気になりさえすれば、すぐれた力を発揮するのであり、
逆に、“駄目な奴”は乏しい潜在的能力しかないために、
何をやらせてもうまくゆかないのである」
「わが国では、一流大学の卒業生達は、その“就職戦線”において、
他の卒業生よりはかなり有利な立場に立っている。
彼らが“実力”において他に抜きんでているからではない。
むしろこれは、彼らがすぐれた“潜在的な能力”を持っていると
“想定”されるからであり、入社後の長期にわたる訓練の結果、
次第にその“能力”を発揮すると期待されているからである」
私が就職活動をしていた20年近く前にも多くの企業の人事部員が、
「学歴なんて関係ない」といったことを就職情報誌などで説明していた。
だが歴史のある大企業は、東大卒業生を中心に採用していた。
これは、いまも大きくは変わらない。
今も岩田氏の唱える日本的な能力観に支配されている限り、
結局は変わらないのである。
さらに前述の「“できる人”~ゆかないのである」を読んで頂きたい。
この意味するものを心得ると、
冒頭のエピソードをこれまでとは違った眼差しで見ることができないだろうか。
つまり早稲田出身の副編集長は大学受験で一応“勝利者”になった。
そして就職戦線では“潜在的な能力”を持っていると“想定”された。
しかし、いざ会社に入り20年ほどが過ぎると、その想定は誤りであったのだ。
受験の“勝利者”とは言い難い、日大OBが早く昇進した。
「“能力”を発揮すると期待されて」いない人が
ブレイクして編集長になったのである。
早稲田OBの副編集長はこの現実を受け入れることができないがために
「日大しか出ていないのに」と愚痴をこぼすのである。
彼自身、日本的な能力観にかなり影響を受けていると見ることができる。
(以上、抜粋)
そのとき副編集長はハッキリとこう言った。
「彼は、日大しか出ていないのに…(苦笑)」
“彼”は、2歳年下の後輩を意味するらしいが、
その彼が人事異動で編集長に抜てきされたようだ。
一方で、早稲田大学出身のこの副編集長は、昇進できなかった。
後輩に負けたのである。
だから、酔った勢いでつい「日大しか」とバカにしたのだろう。
会社員として30代後半~40代後半までの約10年間は大きな分岐点だ。
その後、役員などになるか、それとも管理職で終わっていくか、
2つの道が待ち構えている。
最近は、管理職にもなれない3つ目の道が作られている。
この時点で競争に負ける人は、人事について不満が多くなる。
そんなときに、彼らがよく口にするのが
「〇〇大学しか出ていないのに…」といった言葉である。
さすがにしらふのときは口にはしない。
酔ったりすると、ハッキリと言う人がいる。
「あいつは立教なのに…」
「まあ、中央しか出ていないから、彼は必死にがんばったんだろうね」など。
いずれも早稲田や慶應義塾、東大出身の編集者たちである。
この人たちは現在、副編集長(課長級もしくは課長補佐)などだが、
その上の編集長(課長級もしくは部長級)になるのが遅れている。
会社から十分には認められていないのだ。
彼らはそのことを察知しているからこそ、
自分を追い抜かす人を冒頭で紹介したように「日大しか……」とバカにするのだろう。
つまりは、嫉妬である。
私がこの20年ほどの間に学歴について書かれた本を読んできた中で、
もっとも説得力があると思ったものをベースに論を進めたい。
『日本的経営の編成原理』という学術書であり、
もう30年以上前に書かれたものだ。
著者の岩田氏は、学歴うんぬんを論じる前に、
日本の社会の能力観には2つのニュアンスが含まれていると言及する。
(1)能力は、ある漠然とした一般的な性格のものとして
受けとめられることが多いこと
(2)能力は訓練や経験によって開発されるべき潜在的な力であり、
“実力”とは考えられてないこと
日本の能力観に基づくと、
次のような意識を人々が持つことになりがちと説く。
「“できる人”は潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されており、
彼がその気になりさえすれば、すぐれた力を発揮するのであり、
逆に、“駄目な奴”は乏しい潜在的能力しかないために、
何をやらせてもうまくゆかないのである」
「わが国では、一流大学の卒業生達は、その“就職戦線”において、
他の卒業生よりはかなり有利な立場に立っている。
彼らが“実力”において他に抜きんでているからではない。
むしろこれは、彼らがすぐれた“潜在的な能力”を持っていると
“想定”されるからであり、入社後の長期にわたる訓練の結果、
次第にその“能力”を発揮すると期待されているからである」
私が就職活動をしていた20年近く前にも多くの企業の人事部員が、
「学歴なんて関係ない」といったことを就職情報誌などで説明していた。
だが歴史のある大企業は、東大卒業生を中心に採用していた。
これは、いまも大きくは変わらない。
今も岩田氏の唱える日本的な能力観に支配されている限り、
結局は変わらないのである。
さらに前述の「“できる人”~ゆかないのである」を読んで頂きたい。
この意味するものを心得ると、
冒頭のエピソードをこれまでとは違った眼差しで見ることができないだろうか。
つまり早稲田出身の副編集長は大学受験で一応“勝利者”になった。
そして就職戦線では“潜在的な能力”を持っていると“想定”された。
しかし、いざ会社に入り20年ほどが過ぎると、その想定は誤りであったのだ。
受験の“勝利者”とは言い難い、日大OBが早く昇進した。
「“能力”を発揮すると期待されて」いない人が
ブレイクして編集長になったのである。
早稲田OBの副編集長はこの現実を受け入れることができないがために
「日大しか出ていないのに」と愚痴をこぼすのである。
彼自身、日本的な能力観にかなり影響を受けていると見ることができる。
(以上、抜粋)
2010.05/08 (Sat)02:00
世の中には目覚し時計っていう時計があるじゃないですか。
なんと実はうちにも1個あるんです。
ラピュタとかナウシカとかの曲が流れるやつが。
その目覚し時計に起きたい時間をセットして眠るわけなんですけど、
たまにそのセットした時間より早く起きちゃうことってあるじゃないですか。
15分とか。
そうするとなんていうか、目覚し時計に勝ったような気がして
「よし!ざまぁみろ!」とか思いながらもう一度眠るんです。
セットした時間が来てアラームが鳴るまでのわずかな時間を眠るんです。
たった15分とはいえ、大切な睡眠時間がもったいないので。
そしたらもちろん15分後にアラームが鳴るじゃないですか。
でもその時点で僕が起きるのはおかしいんです。
なぜなら僕は目覚ましよりも15分早く一旦目を覚ましてたんです。
つまり目覚まし時計に対して『15分の貸し』があるわけでして、
僕はその『15分の貸し』を目覚し時計から回収するために、
時間通りにアラームが鳴っても余分にあと15分だけ眠る権利があるんです。
だからアラームを止めてさらに15分眠るんですけど、
起きなきゃいけない時間が近づいてくると、
もう一つ大切なことに気づくんですよ。
うっかり利息を取るのを忘れてたんです。
『15分の貸し』に対する利息がどのくらいなのか計算がよくわからないので、
適当にあと2分くらいプラスして眠るんです。
寝ぼけた頭でそんな理屈をこねながら、
デッドラインぎりぎりまでタオルケットにしがみついてたら、
いつの間にか遅刻しかけてるんです。
ほんと、起きるって難しいことです。
なんと実はうちにも1個あるんです。
ラピュタとかナウシカとかの曲が流れるやつが。
その目覚し時計に起きたい時間をセットして眠るわけなんですけど、
たまにそのセットした時間より早く起きちゃうことってあるじゃないですか。
15分とか。
そうするとなんていうか、目覚し時計に勝ったような気がして
「よし!ざまぁみろ!」とか思いながらもう一度眠るんです。
セットした時間が来てアラームが鳴るまでのわずかな時間を眠るんです。
たった15分とはいえ、大切な睡眠時間がもったいないので。
そしたらもちろん15分後にアラームが鳴るじゃないですか。
でもその時点で僕が起きるのはおかしいんです。
なぜなら僕は目覚ましよりも15分早く一旦目を覚ましてたんです。
つまり目覚まし時計に対して『15分の貸し』があるわけでして、
僕はその『15分の貸し』を目覚し時計から回収するために、
時間通りにアラームが鳴っても余分にあと15分だけ眠る権利があるんです。
だからアラームを止めてさらに15分眠るんですけど、
起きなきゃいけない時間が近づいてくると、
もう一つ大切なことに気づくんですよ。
うっかり利息を取るのを忘れてたんです。
『15分の貸し』に対する利息がどのくらいなのか計算がよくわからないので、
適当にあと2分くらいプラスして眠るんです。
寝ぼけた頭でそんな理屈をこねながら、
デッドラインぎりぎりまでタオルケットにしがみついてたら、
いつの間にか遅刻しかけてるんです。
ほんと、起きるって難しいことです。